わずか 17 % ほど しか てきかく に じょうほう を とらえていないとき に 「 17 % ほど まと を いている 」   などと いうふうに ひょうげん される ことは (ふつうは) ありません。 「 それは つまり まとを いていない 」 と、あらためられる べきだ。 というのが 、一 般 的 な 言 語 感 覚 ではないでしょうか ..?    もちろん、わたしも そうおもいます 、..。 しかし 、 ここでは、その かんかく を かりに すこし かいぎてき に とらえてみます。  というのも、 その かんかく だけ で 集 合 全 体 が そまってしまうと、 むくいきれない せんさいな エネルギーたち が どんどん  うもれていくように かんじられる ときがあるから に なります。 つまり、 たしかに ∠ おおきく まとは それては いる ものの 「 わずか 17 % ほど では あるが、」 たしかに まえに すすんでいる ぶぶんも ある。 という、ひょうか も のこしたい。 ということに なります。 これ ( 17 % ) を→ 0 % (ムダ) と きりすてて しまうのは、 かならずしも、ただしい ひょうか とは いいきれないのでは ? と、おもうこともあります。 たとえば 、 6 倍 の コスト を かけられる じょうけん が くわわった ばめん。 ( 17 % × 6 = 100 % いじょう ) や ∠ ピント があう じょうけん が ととのった ばめん。 など では 、ゆうこうに ハッキ されていく 可能性 を ひめています。 これを なんでも ゼロエネルギー だと きりすてて しまうのは  デメリット にも なりえる と おもうことが たまに あります。 m(_ _)m こさいん のような 客 観 的 で 普 遍 的 な とらえかた  が できたら いいなあ 、と おもったしだいであります。